- 01/22 [PR]
- 09/18 泳ぐふりをして草原の中眠る人
- 08/21 瓦礫の中から未知をはじめる
- 08/14 おじい自慢のオリオンビール
- 08/01 ワタリウムのアロイーズ
- 07/26 トータル・エクリプス・ハンティング・ツアー・ガイド 【後編】
Title list of 日記(つぶやき)
木が走る
林が弾力をもつ
森が守る
夏が終わってしまった
昨日ROKUROメンバーの村越と久しぶりに吉祥寺で飲んだが
オープンの焼鳥屋は涼しさの中で客を集めていた
夏が終わってしまった
心残りは無いがいつものように後悔の念は頭から離れない
仕事のしすぎ
でも喧噪の中で生きるからこそ出てくる言葉があるようです
夏の思い出を少し書こうと思います
ティモレオンと映画を見る
南極料理人
南極越冬隊の日々をコミカルにつづっているエッセイを映画化した作品
南極での生活は観測と沈まない太陽と昇らない太陽と食事のようです
とても笑える映画でした
きたろうの演技は天才的だ
お盆に実家に帰る
実家に帰るとまずたんぼが目に入る
お盆には青く若く勢いのある稲が
正月には黄色い白い草原のような田が広がる
親父に「墓参りに行こう」というと
「仏さんが家に来てるんだからお盆だ」
そりゃそうですよね
なんにしても母親の料理は完ぺき
朝ごはんは魚と目玉焼きとトマト
それにビールだ
姪っ子が遊びに来ていたが彼女とはいつも喧嘩別れしてしまいます
お盆過ぎ
すぐに仕事
遥か東北まで車を走らせる
お供は那津劇団のけいちゃん
けいちゃんとは7月の三浦での海水浴で一緒に溺れかかった仲だ
けいちゃんはその後マキルンとも会っているのだった
仕事をこなしせっかくなので佐野ラーメンを食す
叶屋 という店
透き通ったスープは優しい旨味があり、青竹で打った平麺との相性は抜群です
また行きたい
そら庵
8月の末にそら庵が1周年を迎えた
その記念イベントでは3曲歌わせてもらった
1.朱夏のセンチメント
2.ピープルゲットレディ
3.FREE&SWEET
音楽も詩のリーディングもアキ子さんの料理も良くって
素敵な日曜日が過ごせました
東海さん、1周年おめでとうございます
写真はそら庵2階へと続く階段 段上にはポチ子がいます
そら庵で唄った次の日から広州に出張
仕事も新しい局面を見せ始めています
色々な人としっかりとした話ができてくると
世界が動きだします
村越と2年前に荻窪の居酒屋で話していたのを思い出す
人生は螺旋のように少しづつ姿を変えて移ろいで行く
木を見る 林が走る 森が弾力を持って一つの生命体のようだ
東京で生きて
電車に乗って
移動する箱の中で言葉を頭に並ばせても
何故か故郷の田畑と、遠く木や森の弾力や、今まで知りあってきた人々の事を
いつの間にか考えてしまうのです
いつの間にか色々な事が頭の中で大きな球体のように膨らんでしまうのです
夏が終わる
熟れ過ぎた果実をもぐように
もう一度僕は沖縄に行きたいと思う
そして泳ぐフリをして草原の中眠るように生きる仲間に会いたいのです
那津 2009.09.18
*
事が起こっている時には何も語れない
凡てが去った後にどれだけ深くもぐったか、気づき、確信する
この文章は2009年の7月26日から8月3日までのごく短い期間に僕が思いつき、書きとめたものを繋げました
何かと何かを繋げるのは非常に意味のある行為だけど、常に失敗とか歪から来る「具合の悪さ」が付きまとってしまうのもやっかい
それを修正しながら長い文章を完成させていく作家の労力には感心します
■■まず
どうして2009年の7月26日から8月3日までの期間なのかを説明する必要がある
その頃(といってもつい最近)僕の脳の中は(特に中央部分)非常に混乱していて、妊娠後のつわりなのか、熱を下げるための大量の汗なのか、予感が迫っている時期だった
仕事の忙しさはピークに向っていたし、毎週末の海遊びの日が晴れるかどうかを心配し、沖縄旅行の日程が確定できず、日焼けしすぎて腕の皮を火傷していたし、何よりも忙しすぎて部屋の掃除も、料理を作るというイマジネイティブな文化的ヒーリング行為もできずに、徐々に心のゆとりを失って行った
それでも僕は仕事をこなし、日曜日になると早起きをしてビーチに向かい、猫に餌をあげてから眠りにつくことを繰り返して行った(日記みたいになってきた)
つまり7月26日からの8月3日の初期までに大混乱期だった脳内がその後半には平静を取り戻し
今では次の詩や音楽に対して集中力があがり始めている
このルーチンは年に何度か起こることで、混乱を経て作品への意欲が湧く「喪失から再生」を繰り返す事が僕の成長だと考えている
繰り返しながら少しづつ心と詩が練られていく
そしてこの「喪失から再生」を経ずに詩や音楽を創ることになった時、
僕は胸を張って静かに生きることができるのだろうか
■■■医者
7月の半ばに3回行く
場所はすべて三浦三崎大浦海岸
水は澄んでいてシュノーケルが面白い
岩場を探検できるし、さざえのつぼ焼きが安くて美味い
ただし、水温はつめたくて体力を相当奪われる
ブイまでシュノーケリングするとさらに水温が下がる
那津劇団のけいちゃんはブイまでくると必死にブイにつかまろうとするが、、ブイはあまり浮力が無い
けいうちゃんは必死に僕の腕にしがみついてきた
海をなめてはいけない
携帯が水没 すべてのデータが水の泡になってしまった
録音していた唄も消えた
三崎の漁港で刺身を食べながらビールを飲んで帰宅
7月26日月曜日、朝、日焼けで腕が痛む、、、、、
完全に火傷をしてサーモンピンクにただれている、、、、、まずい、背広を通すだけで激痛
午後、けいちゃんと共に病院へ行く
診断は皮膚の9%の火傷
けいちゃんはもっとひどく背中一面を火傷
海と太陽をなめてはいけない
医者にはさんざん怒られて、ビールも海も禁止になった
でも次の週は沖縄 なんくるないさ
前半期は動きながら喪失を繰り返した
体力の消耗、肌の9%喪失、携帯電話データの喪失 、余裕の喪失
■■■沖縄
電車に飛び乗る 女の子を強引に口説く
笑っているやつらに 併せて高らかに呼吸
預言者に会う 大きなものとすれ違う
食事を摂る 銅像を壊すなもう作るな
ビール 久しぶりの仲間
仲間はずれの唄 夏の日差し
ビタミンを摂取するためにシナプスを領域に浸す
ボロヲキテ ヤサシサヲナクシタヨウニオモワレ オヨギツカレル
次の場所ではニューロンと組む
沖縄・名護
此処には尊敬する仲間の一人が住んでいる
こうじ
移り住んで5年 うちなんちゅうになり始めた
土地に認められる事はそこで安らかに生きる事を許されることだ
移住した民は根付くまでに様々な苦労を強いられる
見えないストレスがかかり続けるのだ
土地に慣れ
その土地を縄張りとする先住の民に徐々に徐々に認められることでうちなんちゅうになることができる
郷では受け入れるべきことを受け入れる事により自分も初めて受け入れられる
「いま、どこね?」
「今、ホテルだよ」
「今夜はホテルに泊まる?」
「うん、そう」
「そうね」
うちなんちゅう独特のイントネーションで「そうね」というコウジ
那覇から高速道路を北上し終点の許田でおりる
そこから58号線を海沿いに北に向かうと名護市街にはいる
名護の入り口に「名護曲」という食堂がある
こうじはそこで地元の人と一緒に働いている
彼らの話す言葉は全くの外国語で
「訛っている」のではないしもちろん「方言」でもない
うちなんちゅうどくとくの言語だ
まったく何を話しているのかわからない
離島のプライベートビーチで泳ぐ
シュノーケリングで沖を目指す
見える魚は沖に向うにつれてどんどん大きくなってその色彩も強くなる
周りに人はほとんどいない
自然のビーチの波は温かく温泉のようだ
眼鏡越しの水中を無心で眺めている
サンゴの死骸の裂け目が真っ暗で海を恐れてしまう
言葉も音も無く強くなっていく波に身を任せる
近くにいると思ったこうじがいつの間にかさらに沖まで進んでいる
サンゴの谷間に到着すると急に深くなり、流れも強くなる
大きな魚に会いたいが、大きな魚に出会えば僕は溺れてしまうだろう
波が立ってこうじの姿が見えなくなる
深い青い色の部分まで泳いできた
ハリセンボンが素早く泳いでいく
考えよ
僕の考えよ
まだ
どうか
まだ
まとまらないでくれ
嘘のように青い波打ち際で殺さないで
常に混乱しながら静かに波の上を浮かぶ
太陽は南国特有の雲に何度も通り過ぎ去られ
クーラーボックスのオリオンのことも忘れ
水中眼鏡に酔いながら
やまない頭痛のように
僕はこの初夏の混乱をどこか 不安げに楽しんでいるのだ
この孤独を32年間の拭えない孤独を
サトウキビ畑の奥に見えるビーチが呼んでいる
呼ばないでくれ
ユタが呼んでいる
古宇利島のユタが僕を呼んでいるのだ
サトウキビ畑の奥に見えるビーチが呼んでいる
呼ばないでくれ
まだ 呼ばないでくれ
岩場を歩いて先のビーチまで行く
自然のビーチには打ち寄せられたゴミがアジアの記号を示す
ここもアジアでこうじにはうちなんちゅうの言葉が理解できる
事が起こっている時には何も語れない
凡てが去った後にどれだけ深くもぐったか、気づき、確信する
こうして僕は7月26日から8月3日までの9日間で新しい気持ちを持ち集中力を得た それは新しく古い感覚です
この
「喪失と再生」の生活が長く続けば続くほど器が磨かれると信じています
昨夜は五十嵐大輔の作品を読んだ
海を題材にしている漫画です
海は良い
入り口であり出口なのか
とにかくもっと泳ぎたいのだ 僕は もっと泳いでいたい
那津 2009.8.14
7月の半ば頃、 ワタリウム美術館を、はじめて訪れた。
家にずっと缶詰、は、心身共に良くない! ので、「何か美術鑑賞をしよう」と、ネット検索。
近年、こう、「見たい!」という展示が無かったので、美術館とは疎遠だった。
確か、最後に見た大きな展示は、”藤田”だったな。竹橋で。
検索で出会い、私がときめいたのは”アロイーズ展”だった。 なにやら、”ワタリウム美術館”自体にも、ときめきを感じた。
銀座線の外苑前駅で降り、数分歩いた。 外観が、周りのハイセンスなショップ達と相違ないので、一度は気付かずに通り過ぎてしまった。
受付は1階で、展示は2〜4階をエレベーターで移動するかたち。
2階に到着。 最初の印象はピンク。ピンク! 好き。好み。
私はあまり、じっくり鑑賞する派では無い。感覚で、さらっと鑑賞して、一番好きな絵に戻り、そしてショップでグッズを物色する。
アロイーズの絵を見た瞬間から「Tシャツがあったら欲しい!」と思った。
エロティックで、かわいくて、オシャレ。
絵はほとんどが、スケッチブックの裏、表に描かれているらしく、アクリルパネルに挟んで、天上に吊されて展示されていた。展示室の空間も上手にデザインされていて、部屋そのものが額縁のように、アロイーズの絵を引き立てていた。
彼女は32才から78才でなくなるまでの46年間を精神病院で過ごし、絵を描き続けていたという。
彼女の絵を見たときに思い出したのが、北海道で何度か喫茶店で見かけた、アロイーズと同じ病気(精神分裂病)を患っている、画家の女性、Kさん。 Kさんも、エロチックな絵を描いていた。鉛筆のみで、しつこくしつこく、女性と女性の象徴たちが絡まっている絵。
アロイーズの絵はカラフルでポップ。なんとなく、遊び心を感じたりもした。よく見ると、乳房を象徴する表現がちりばめられている。花が乳房で、背景や地面が乳房。
抽象的なタッチなので、エロチックさは、説明に書かれていなければさほど感じないくらいだ(私は)。
4階の展示、亡くなる前の年に、商業主義の作業療法士が彼女の指導をしてから、画風が変わり、絵から生気が無くなっていた。芸術を他人が侵すことの罪を、目で見た。
1階のショップに降りた。 アロイーズのグッズは無く、ただ、あらゆるアート関連グッズが売られていた。 がっかりしたついでに、地下のアートブックストアで、今回の展示図録を買った。 (思ったほど絵が載っていなかったので、またがっかり)
次は10月の旭川に行くらしい。東京では8月16日まで。 期間中何度も入れるパスポート制なので、あと1回は見にゆくつもり。
以下、展示の詳細。※ワタリウム美術館公式から引用
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「アロイーズ展」
・会期 5月16日(土) ~ 8月16日(日) 2009年
・開館時間:11時より19時まで(毎週水曜日は21時まで延長) ※月曜休館
・入場料 入場料:大人1,000円 学生800円(25歳以下)
(期間中、何度も使えるパスポート制)
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たちばなまこと
厚く重い雲が覆っていた
夜には満天の星たち 幾つもの流れ星が
身に余るほどあったのに
受けきれないほどのものを「恩寵」と呼ぶべきか
ワタシはそのコトバを知らない
物語を綴ろうとすると
ワタシはいなかった
心停止のように たった一つの言葉もなかった
その夜「世界を変えたい」と云う女性に遭った
彼女は 変えるだろう
その世界に ワタシはいない
◇皆既日蝕
7月22日 朝5時に起き岬を目指す
太陽は見えない
9時過ぎ 種子島宇宙センターへ移動
砂浜で日比野克彦氏のパフォーマンス「時の芸術祭09」
http://kagoshimagift.web.fc2.com/info.html
雨が降った
薄雲に太陽が見えると人々は仰ぎ見た
その時間は迫るが
太陽には背かれた
定刻になると
あたり一面が薄暗くなる
カメラのフラッシュが自動で発する
凍ったような静寂
1分半 の黙祷のような 時間
やがて 世界は 息を吹き返す
詩人は 世界で 詩的な存在では ない
世界が 詩的で あるだけ
若いアーティストが西之表で展示をしていた
絵師が 筆一本で 世界に向かうように
我々は 裸一つで 宇宙へ向かい 立つのだろう
詩人が
書けなくなるのは当然なことだ
孤絶し 軌道を見失い
太陽に 背かれ て
夜の恩寵の 中にいて
でももし君の中で
詩が産まれたら
それを 教えて 欲しい
timoleon